設立の背景

設立の背景

2014年9月27日

発起人 秋葉 秀央

コーヒー一杯飲めるお店が無い

都市部から結婚を機に、九十九里エリアに移住をしてきた方から、こんな話を伺うことがある。2008年の結婚を機にUターンした僕らもまた、他聞に漏れず、そうであった。

あれがない、これがない。
あれが不便、これが使えない。

『無いものはない! 諦めてもらうほかない』

そう、僕の心は叫んでいた。

ここは、ここで、都会にはないものがある

宿泊施設を営む兼業農家の長男に生まれた私は、Uターン後、宿泊施設のインターネットを使った集客を担当しながら、地元の商工会青年部などに所属した。商工会青年部には、多くが私と同じ待遇に生まれた同世代で、仕事の話や家庭の話、地域を盛り上げる施策について語る場でもあった。

そこには面白そうな地元情報がゴロゴロ転がっていた(大抵の場合、懇親会の席での話であるが…)。ここには、ここで、都会にはない楽しさがある。私自身、そう強く再確認できる場だった。何よりもその場にいる商工会青年部員が地元を楽しんでいた。自分自身が楽しいから、仲間も集まるし、商工会青年部の企画する事業も面白いものになっていく。

商工会青年部活動を通じ、地元に住む僕たち住民ひとりひとりが、地元を楽しむこと。これが、地域活性化の根幹であり、火種であり、目的になりえるのかもしれない。そう、薄らと感じていた。

そんな折に発生したのが、東日本大震災。

九十九里エリアも報道こそ少ないが、寛大な被害が出てしまった。

旭市を中心として、約1050戸が津波被害により全壊。山武郡市で360haを超える田んぼが津波の塩害により、植え付けを断念。 GWの九十九里地域の観光入込が、前年対比73.1%、宿泊施設は72.2%。旭市、匝瑳市、多古町の葉物野菜は原発の影響で、一時出荷停止。旭市、匝瑳市、横芝光町と山武市の一部の海水浴場は、海水浴場の運営を断念。

設立の背景

手前味噌だが、家業の宿泊施設でも、キャンセルが止まらない。3月はもとより、5月のGWまで予約はほぼゼロになった。また、芝生広場が代名詞の当施設において、原発事故による風評被害は、事業存続をも問いかねない惨事であった。

地元の未来を、自分事にしてしまった

被災から立ち直れずにいた頃、地元では外食産業を中心に「地元のお店」が、盛況をみせていた。その一方で、地域の集客機能として観光入込の一端を担っていた僕らのような宿泊施設はどこも閑散としていた。そんな光景を目の当たりにして、カミナリが落ちたような、当たり前のようなことを実感することができた。

観光。そもそも〝地域の光を観る〟と書く。

冒険心で入った地元店の伝統食や味、カルチャーショック、地元人に紹介されて参加してみた地元を感じる体験や体感、泣き笑い。そんな時間こそ、観光客の心に残り、想い出となり、リピーターとなる。

キレイごとかもしれないが、僕自身もそんな地元人になりたいし、そんな役割を果たせる絶好の仕事を持っているのではないか。だからこそ、僕は取り組まなければならない。勝手にそう考え、勝手に地域の課題のような壮大なテーマを自分事にしてしまったのだ。

変な人。確かによく言われるが、こればっかりはやるしかない。やらなければ、一番近くにいるパートナーの笑顔さえ、観える日がないと感じたのだからしょーない。(「しょうがない」の意。この地の方言のひとつ)

〝地元を楽しむ〟は永遠の地域活性化!?

早速、九十九里エリア内外で行われている様々なイベント、面白い取組みをされている方にお会いさせて頂いた。そこには、もうすでに地元を楽しんでいて、自慢していて、その人やその人の笑顔に、多くの地元人や地域外からもお客様が集う光景が目の前に広がっていた。

これだ!
僕はそう感じた。

少し話は逸れるが、全国各地で様々な地域活性化事業が行われていて、その成功要因として「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」なんて言葉さえある。

確かに事業やプロジェクトの前に存在する課題を一点突破させるためには必要かもしれないが、あくまでも事業をブレイクスルーするのに有効な手段だと僕は解釈している。

前述の事業型の地域活性では、その効果や期間は一定の範囲に限られ、成功しても一過性に他ならない。いつしかハードは劣化し、ソフトも老朽化する。そう時代は僕に教えてくれた。

僕らのやりたいことは、地域活性の事業ではあるが、啓蒙・啓発事業に近いのかもしれない。この地に住む住民ひとりひとりの〝地元を楽しむ度〟を高めたい。地元住民が地元を楽しんでいる姿は、子にも伝わり、いつしか世代交代しても、その後継者の時代にあった地元の楽しみをみつけられるだろう。

地元のお祭りが良い例だ。お祭りを楽しんでいる人は、子・孫・ひ孫の代まで引き継がれ、毎年家族の恒例行事のはずだ。例え仕事で引っ越ししても、お祭りの日になればきっと帰省するだろう。

単純だが、定量化が難しく、事業との関連性もみえ難い。結果が出るのは単年度では無理だ。まぁ、数年で出来ることではない。

しかしながら、「俺は(私は)、地元のここが好きです!」そう胸を張って自慢できる人を増やしたい。そんな住民ばっかりだったら、きっと過疎化や後継者不足などの問題も解決できるだろう。

また、まちづくりの方針だって、今と逆転するだろう。ないものねだりのまちづくりから、トンガリのあるまちづくりに。そうなればきっと、「ご出身はどちらですか?」と聞かれたら「九十九里浜の近くです…。」とか「成田空港の近くです…。」とかではなく、胸を張って我が街を名乗るだろう。

僕自身のパートナーや商売をどうにかしなければ!という考えが、自分だけが変わっても意味がない。いつしか、そう考えるようになった。
そして、僕らと想いを同じくする地元の有志9人にご協力頂き発起人会なるものを立ち上げた。震災から9ヵ月が経った頃だった。

設立の背景

by akiba

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